東京×スケールメリット Vol.1
Posted on 2012.11.19
written by 菅野康太

『東京とミニ東京』

東京に出てきて、10年目になった。

とは言え、最初の2年間は東京と埼玉の県境にほど近い、所沢に住んでいて、この春からは、都内の自宅から神奈川の相模原に出勤しているので、厳密に言えば、東京周辺でこの10年間を過ごしている。
その間、実家がある仙台に時折帰りながら、ミニ東京化していく故郷を眺めていた。僕自身は、このミニ東京化はキライじゃない。単純に地元が便利になったし、東京にいようが実家にいようが同じように遊べるし、新幹線代が高くつく事を除けば、むしろ東京と実家が近くなったようにすら感じる。それに、そこに住む人や地形、地名や方言は、もちろん未だ保存されているから、仙台らしさも失われない。それどころか、仙台メディアテークが出来た事が象徴的だが、様々な公共施設やイベントスペース、大型書店がやってきたことで、わざわざ東京にいかなくて味わえることが増えている。
しかし、東京とミニ東京の間には未だに「絶対的」な違いがある。それはスケールメリットだろう。スケールメリットとは、規模を大きくすることで利益を増やす、という理解で良いと思う。
例えば、東京では平日でもZepp規模の会場がパンパンになるほど客を集めるミュージシャンでも、Zepp仙台だと結構すいている、みたいな感じだ。
人口あたりではどこの地域でも同じくらいの割合でファンがいたとしても、東京と仙台では人口規模が10倍以上違うのだから、これは当たり前だ。同じことをしてもより大きな規模で利益を得やすい東京という街には、ランニングコストが高く付いてもなお、スケールメリットが存在するのだ。
3月まで僕が過ごしていた東大は、学食のメニューも充実していたし、キャンパス内にチェーンのカフェもあり、周りにはコンビニも多く、生協購買部も大きくて書籍部はちょっとした本屋の様で、サブカル系の雑誌からラノベ、そしてもちろん学術書まで充実していて、よほどロフトやハンズ、レコード屋に行く用事がなければ、いちいち渋谷まで出る必要も無いほどだった。
今いる大学は、学食のメニューも少ないし、生協は小さく、図書館の蔵書も少ない。これまで規模のデカい大学にいたことで、僕自身利益を多く受けていたことを実感する。
つまり、スケールメリットのあるところでは、様々な多様性が保たれ得る。マイノリティであっても、実数としてそこそこの数があるので、ビジネスとして成り立つからだ。ビジネスとして成り立つということは、つまり持続可能性があるということで、様々なカルチャーを醸造しうる環境であるということでもあると思う(ところでカルチャーには文化という意味もあるが、培養という意味もある)。

 僕が育った仙台は、いまでこそ、東京とある程度同じように、意識しなくても様々なカルチャーが目に入るミニ東京となったが、それは、幸い年々人口が増加し、100万都市となる成長をしていたからのように思う。仙台メディアテークの売店としてNADiffが入り、僕の古巣(現 早稲田キャンパス、当時の西早稲田キャンパスの方だが)の早稲田の近くにもあったアユミブックスが仙台に現れたおかげで、僕はBRUTUSやrelaxといった雑誌を読むようになる。今は仙台にもロフトやビレッジバンガードがあるが、それらが出来るのは僕が上京したあとで、上京するまで僕はそれらを一切知らなかった。
 今でこそ、僕は仙台という街が好きだが、当時その場所しか知らなかった僕は、例えば、進路指導一つとっても「東北大に行くのが一番」というようなことしか言わず、たとえ志望校が早稲田や慶応、上智といった大学であったとしても、私大というだけで「逃げている」と言わんばかりの、画一的な考えを持った教師に辟易としていて、この街を出たくてしょうがなかった。地方都市というのは、多様性の少なさ故に、選択肢の少なさが付きまとうのだと思うが、ある種の単一コミュニティの結束の様なものがあり、それは地方の特色として美化出来る一方で、排他的でもあると思うのだ。競争が無いために、よくわからない権威が出来たり、殿様商売が可能になったりする。客が店員に怒られる光景が当たり前なのは、僕には、理解できなかった。
 その点、東京という街は、雑多で様々な存在が共存可能な場所のように思えた。人ごみと駅など公共の場における他人への無関心は、多少、東京を冷たい場所のようにも感じさせるが、自分が少しコミットする心を持てば、様々なコミュニティや小さいビジネスが多数あり、寧ろ、包容力のある街のように思える。今、2002年のrelax「東京特集」を引っ張り出して、読み返してみている。この雑誌を読みながら、東京に出たいと思っていたわけだが、その頃は見たことも無かった吉祥寺に今住まい、珈琲貴族では友人が働いている。談話室滝沢は、今はもう無いが。研究以外で、現在僕が行っている活動も、この東京に支えられていると思っている。イベントをやれば50人から200人くらいなら、人を集めることができるし、色んなヒトに出演してもらったり、協力してもらったりするのも、東京という街に色んな人がいて、すぐ繋がれるからだ。色んな意味で、仙台では出来なかっただろう。

 さて、だがしかし、このスケールメリットは、高度経済成長が終った今の日本全体においては、縮小していると言わざるを得ない。日本の中では相対的にスケールメリットが大きい東京と言えども、世界の中での日本の経済規模が小さくなれば、その力を失っていくだろう。出版不況と言われる昨今だが、僕が憧れた東京を描いたrelaxも、今は休刊中だ。僕が上京した頃には、おそらく渋谷の宇田川からも、レコード屋が減り始めていたのだろうと思う。スケールメリットを享受出来なくなることは、すなわち、文化の多様性や創出も維持出来なるということだろうか。東京あってのミニ東京であるならば、これからの地方というものはどうなっていくのか。ミニ東京という体裁をとることで成長可能であった都市は、東京とパラレルに、運命をともにするのか。もしくは、そもそもミニ東京にもなれない都市は。
 僕らは、無意識にスケールメリットに頼り過ぎて来たのではないだろうか。この問題は、僕の職場である「大学」というものとも無縁ではないと思う。次回は、この辺のことを考えてみたい。

(つづく)

菅野康太

1983年、宮城県仙台市生。博士(理学)。早稲田大学人間科学部卒業。東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻修士および博士課程修了。現在、麻布大学獣医学部特任助手。専門は行動神経内分泌学、神経科学(脳神経科学)。これまで感情に関わる脳内物質の研究に従事し、現在は雄雌間コミュニケーションを研究している。その傍ら、2009年よりサイエンスコミュニケーション・プロジェクトをスタート。研究者、編集者、デザイナー、コーディネーターと共にSYNAPSE projectとして、フリーペーパー『SYNAPSE』の発行や、イベント、web発信を行っている。本稿では自由気ままに東京を考えたい。 http://synapse-academicgroove.com/
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